種子島を、日本を救った唐芋(カライモ)
1732年に起こった西国の大飢饉。十万人以上が餓死し、山陰・山陽地方では、一頭の犬さえ 見ることは出来なかったとされている。しかし、鹿児島の島津藩ではサツマイモのおかげで餓え をしのいでいた。江戸幕府は、その情報を聞きつけ、サツマイモを全国に広めるよう大岡越前守 の部下である青木昆陽に命じる。
その後、昆陽が江戸においてサツマイモの栽培に成功したのが1735年、種子島で初めて栽培 に成功してから37年後のことである。
その昔は元禄時代、沖縄がまだ琉球王国だった頃、ここ種子島では琉球に夢のような作物がある
と噂されていた。なんでも日照りに強く収穫が多い、しかも味も旨いと言う噂の作物を島民は羨
んだ。
なぜなら当時の種子島は、相次ぐ台風の被害と、その後の日照りによって農地が荒れ、島民は食 うに困る暮らしをしていたからである。
当時の島主であった種子島久基は、災害が続く種子島の将来を憂い、噂の作物で島民を救えるの ではないかと琉球の王様に苗を分けてもらうよう親書を送った。
それから一年後、琉球から一かごの苗が届いた。久基は、これで島民を救うことができると喜び、 わずか一かごの苗を無駄にはしまいと、さっそく信頼を寄せる家臣の大瀬休左衛門に栽培を命じ た。
休左衛門は、まだ見ぬ夢の作物に希望と重責を感じながら、ひとつずつ丁寧に苗を植えた。する と数日で苗は大地に根をはり、ツルや葉はスクスクと育ち、実が成るのも間もなくと思われた。
休左衛門は久基に噂通りの夢のような作物だと説明し、実が成るのもそろそろではないかと伝え た。しかし、その後もいっこうに花が咲かないし実もならない。
あせった休左衛門は、水が足りぬのではないかと多くの水を与えてみたが枯れるばかりで改善し ない。ツルをアサガオのように棒に巻き付けるがうまくいかない。
とうとう季節は秋になり全ての葉が枯れてしまった。島主に詫びて切腹するしかないと覚悟した
休左衛門は、枯れたツルを引き抜くことにした。
すると土の中からサツマイモが連なって出てくるではないか。それこそが日本初の栽培に成功し たと同時に日本の食料史に残る偉業を成し遂げた瞬間であった。
一時は死を覚悟した休左衛門だが、度肝を抜かれて笑いが止まらなかったことだろう。日本で初 めてのサツマイモ栽培に成功していたのである。
サツマイモの苗を輸入した種子島久基と、切腹を覚悟した休左衛門の功績は、島民はもちろんの こと、後に全国の食糧難を救う事になるわけで、鉄砲伝来よりも、後に語り継がれるべき歴史上 の出来事と言えるのではないだろうか。
それから長い年月が経ち、種子島では様々な品種のサツマイモが栽培されるようになる。その中 に、種子島安納地区などの農家が自家用に育てていたサツマイモがあった。
蒸せばとろけるような舌触りと驚くほどの甘さに、一度でも食した人達は、たちまち虜になった。 そして今では、全国から注目されている種子島の基幹作物に成長した。
島民の食糧難を救った一かごの苗から300年以上の時が経ち、日本の食糧事情は豊になった。 貧しい時代には主食としていたサツマイモも、今や嗜好品として消費されている。
しかし、世界では未だ多くの人々が餓えに苦しんでいる。種子島久基が、種子島を救う夢の作物 だと確信し、島民の餓えを救ったように、サツマイモが世界を救う夢の作物になるだろうか。
久基と休左衛門も、それを願っているに違いない。